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ピエロ・デッラ・フランチェスカの謎
Il Mistero di Piero della Francesca

2012.03.12 00:56 | Philosophy? * Art | Print
 最後に、私なりのピエロ・デッラ・フランチェスカの謎を提起して終わりたいと思います。答えとかオチとかは無いですが、学が無い代わりに常識をひっくり返してやろうと思います。

>> ジョヴァンニ・バッチの横顔職人
>> カルロ・ギンズブルグの謎
>> 何のために芸術はあるのか

 過去の記事で触れていることに関しては説明入れてませんので、ご了承ください。

『鞭打ち』再考


▲ 画像提供元:Wikipedia Commons

 『キリストの鞭打ち』には何か秘密があってもおかしくないと私は思っています。というのも、

1.奥行きのある画面構成に深い意味はないのか?
2.手前の三人は只立っているだけなのか?
3.玉座に座っているのは本当にピラトなのか?


 この3点に疑う余地があるからです。順を追って説明しましょう。

 奥行きのある画面構成に深い意味付けをしたのは我らがギンズブルグです。彼は面白い所に目を付けたんだけれど、同時にこの絵をちゃんと観ていないことを白状しています。
 ギンズブルグ仮説では画面の手前と奥では空間的にも観念的にも隔たりがあり、手前が説教をする人々で、奥がその説教の内容、ということでした。それぞれの次元を明快に区別するため、ピエロが用いたのが遠近法による空間的隔たりと、光源の違いによる異次元化だというのです。…最初にこれを読んだために私もそうだとスッカリ信じ込んでしまいましたが、これはちょっと違いますね。

 確かに手前の人物と奥の鞭打ちのシーンは光源がほぼ逆になっているのですが、それは異空間設定のためではなく、鞭打たれる人の天井から不思議と降り注ぐ光によって自然光が打ち消されているからです。この建物自体の影は手前の人物達と同じ方向に落ち込んでいます。手前と奥が別の次元であるという可能性はあるとして、光源の設定自体は異次元化に寄与してはいないと思います。

 ただ、ピエロが一枚の絵に時間的に隔たりを持ついくつかのシーンを描く、というのは特別なことではありません。例えば『聖十字架物語』の「アダムの死」。ここでは実に3つのシーンが一つの画面に収められ、興味深いことに、2番目のシーンが2つのシーンに挟まれて遠くの方に小さく描かれています。


▲画像提供元:Wikipedia Commons

 この絵は礼拝堂全体の構成を考えてやむを得ず右から左へ時系列を辿っていますが、『聖十字架物語』の他の作品や、『キリストの復活』で象徴的に見せているように、基本左から右へ時間が流れるのがピエロの作品です。

 ということは、この絵は「鞭打ちの後、集まる男達」という物語を表している、という可能性があるのではないだろうか?もしそうであれば、物語の中心となるのは手前に描かれた“集まる男達”なのでしょう、彼らは一体何者なのか。

使徒行録の登場人物をめぐって

 ギンズブルグはここでも鋭い指摘をします。手前の男たちの内、左の男は謎のジェスチャーを交えながら何かを語り、右の男は左の男を見つめ、中央の男は上の空(?)で聞いている。…ピエロの絵画で何かを喋っている人というのはほとんどいないのですが、確かに左の男は何かを喋っているようにも見えます。というより、喋っていないのならあの身振りは少し不自然だ。
 ギンズブルグの説は前回までで終わっているので置いておくとして、使徒行録説(石鍋真澄先生の説)によれば3人の男たちは左から大祭司カヤパ、裏切り者ユダ、ユダヤ人の王ヘロデなのだそうです。…ということはカヤパがヘロデに何かを語っているのか。

 ところで、使徒行録説ではその中で引用される詩篇のワンシーンを図像化している、という解釈でした。何故引用元の詩篇の図像化ではないのかというと、オリジナルの額縁に添えられた「共に集まり convenerunt in unum」という文句が詩篇のものではなく使徒行録のものだったからです。ならば、使徒行録のシーンそのものを図像化している、という可能性は全くあり得ないのだろうか?

 まず、件の使徒行録第4章の概略を紹介します。
 ペトロとヨハネは足に障害がある男をイエスの名に於いて治してしまい、イエスをキリストと認める人が爆発的に増える。騒ぎに驚いた司祭たちは2人を捕らえ裁判にかけるが、彼らをどう扱ってよいかわからず、結局釈放する。その後2人は教団の仲間達の所へ戻り、ことの次第を話して聞かせる。

 彼らはこれを聞いて、心を一つにして声をあげ、神に言った、
「主よ、天と地と海とそこにある全ての物を創られたあなたは、精霊によって、あなたの僕、私達の父ダビドの口を借りて、〈なぜ異邦人はおごり、人々は空しいことを図るのか。地上の王達は立ち、かしら達は組んで、主とそのキリストに逆らった〉(詩篇第118章22節)と仰せられました。
 果たして、この町で、ヘロデとポンシオ・ピラト、異邦人とイスラエルの人々は、相結んであなたが油を注がれた聖なる僕イエズスに逆らい、あなたの御力と知恵があらかじめ定められたこと(人々が神の意に反してキリストに逆らうだろうという予言)を全て成し遂げたのです。
 そして今、主よ、彼らの脅迫に御目を止め、この僕達に恐れなく御言葉を告げさせて下さい。聖なる僕イエズスの御名によって、御手を伸べ、治癒と奇跡と不思議を行わせて下さい」

 こう祈り終えると、その集まっていた場所が揺らぎ、彼らは皆聖霊に満たされ、恐れなく神の御言葉を語りだした。

使徒行録第4章 24~31節(一部改)


 まず、ここで言及されている登場人物が“ユダヤ人の王ヘロデ”“キリストを有罪にしてしまった裁判官ピラト”“異邦人”“大祭司カヤパに扇動されイエスの処刑を願ったイスラエルの人々”“キリスト”であることを確認した方がいいでしょう。また、使徒行録全体における登場人物は、“ペトロ”“ヨハネ”“教団の仲間達”です。その少し前の尋問のシーンには“ユダヤ人のかしらたち”“大司祭”が出てきますし、この章の終りには宣教上重要な役割を果たすバルナバという人物のことが唐突に書かれています。…候補者は一杯いるし、使徒行録説の真ん中の男をユダとするのはどうなのだろうか

 仮に左の喋っている男をペテロだとして(この章において、喋る人物とはこの人が一番相応しいように思うが)、画面を再構成してみると、彼の話を聞いているのは前のシーンを取れば大祭司などなど、後ろのシーンを取れば教団の仲間達です。…ちょっと理屈がこじつけっぽいか。構成上の問題と取れなくもないけれど、そうならば話を聞いている人の数はもっと多くなければならないし、右の男の王侯貴族のようないでたちを説明するのが少々難しい。
 人数の件については、これをキリストの処刑のシーンだとみなす場合に於いて、手前の人物のどれかを“異邦人たち”や“イスラエルの人々”と考える時の問題にもなります。ここは構成上、手前の3人が比喩的に一人の人物で象徴されていると考えるのが最も自然と思われ、使徒行録説の3人を“宗教権力・裏切り・世俗的権力の象徴”とする説がやっぱり妥当なんじゃないか、という気がしてきます。

 ということは、手前の3人はイエスを陥れるために「事前に」「共に集まっ」ているということだろうか?そうすると、この絵の時間の流れは通常のピエロの時間感覚とは逆の、右から左、ということになります。ここは敢えて強く主張したいのだけれど、このシーンは全体でワンシーンというよりも、二つの時間的つながりを持つ物語という風に見た方がいいのではないかと私は思っています。わざわざ2枚の板をつなげてキャンバスを作ってることですし。
 使徒行録説が正しいとすれば、この絵は鏡写しの構図(つまり、左手前に3人の男を配置するように)で描くのがピエロの普通ではないかと思います。それを敢えて逆の構図で描いている点がこの絵のミステリアスな所で、もしかしたら対になるもう一枚の絵があったとか、時系列を逆転せざるを得ない事情があったと勘繰りたくなるではないですか?…それとも、ヨハネス8世の横顔を反転させたくないからこの構図になったのだろうか。あるいは、キリストの頭上でオーブを持つ偶像の手が、左手である必要があったということか。

悪人が善人と同じ顔をしている

 そろそろ息切れがしてきそうですが、今度は画面の奥の人物について考えてみます。左側で玉座(というのかわからないですが)に座っている男がピラトである、ということは疑われたことがほとんど無いようです。が、これって疑っていいんじゃないでしょうか。

 私が何でそんなことを言うかというと、玉座の男が着ている服がピンクだからです。ピエロ・デッラ・フランチェスカは人物の顔にはかなり無頓着で、悪人と善人を同じ顔で描いて平気な顔をするものですから(『聖十字架物語』ではナント、神ヤハウェと処刑される異教徒の王が同じ顔だというから度肝を抜かれる)、この絵の解釈も一段と難しい。
 ただ、ピエロは色に関しては妙なこだわりがあった可能性がありまして、ピンク色の服を悪人が着ているパターンは私の知る限りにおいてありません。むしろ、キリストや聖母の服に好んでピンクを使っていた形跡があります。私個人としてはピラトはそこまで悪人だと思いませんが、ダンテの『神曲』において厳罰に処されているのを見ればわかる通り、キリスト教圏におけるピラトは悪人とみなされています。そんなピラトにピンクを使うだろうか?素人目で見た限りでは、ピラトに赤を着せて、周囲の人物の色を少し操作すれば全体のバランスは保たれるような気もするし。

 じゃあ、玉座の男は誰なのか。実は、マイナーな学説でそれがである、という解釈があるのだそうです。ポープ=ヘネシーという人の説で、割と真面目な方の学者さんなのだとか。

 ヘネシー説ではこの絵のテーマを「聖ヒエロニムスの夢」と考えているのですが、これは古典文学を愛好していたヒエロニムスが、「聖書よりキケロを好む」と神に咎められ天使に鞭打たれる夢を見るというお話です。『鞭打ち』と同時期に描かれた別の作者の『聖ヒエロニムスの夢』がこの絵にそっくりなので考案された説でしたが、ピンクの謎を解くのにこれほどうってつけな説もありません。

 だとすると手前の喋っている男は後日夢の話をするヒエロニムスということになる!時系列も完璧だ。…偶然にもピエロの描くヒエロニムスは二股髭のお爺さんではないか。喋っている男の老後の姿だと言い張ってもおかしくない。

▲ ピエロ・デッラ・フランチェスカ『聖ヒエロニムス』(Wikipedia Commons)

 鞭打たれる男が立たされている柱の上にある像は、古代異教風の像で、キリストの鞭打ちとしてはチグハグな感じを受けるのですが、これがキケロを崇拝するヒエロニムスの象徴だとしたら、アトリビューションが無いと思われていたこの絵にしっかりとアトリビューションがあったことになる。おかしなくらい話がかみ合ってしまった。

 しかし、この説がマイナーであるのにはそれなりの理由があるのでしょう。こう仮定すると逆に不自然なところもあるにはあるのです。

 まず、そうなると鞭打っているのは天使ということになりますが、天使が異教徒風というのは頂けません。ピエロの描く天使は皆、翼を持っていて綺麗な色の服を着ています。それがこんな可愛くない天使…個人的には反証として充分過ぎると思います。
 また、鞭打たれる男の頭上…おそらく異教風の像が持つオーヴから放たれていると思われる光も気になります。それはこの絵が「キリストの鞭打ち」だった場合にも若干不自然な感じを持たせるのですが、神に咎められて悔悛するヒエロニムスの頭上が光り輝く、というのはストーリーに沿っていない感じがするではないですか。

謎は謎のままで

 『鞭打ち』の真の謎は、どんな説を取っても不自然な所がある点なのだと思います。それを学術的に解決するには、注文主や絵の用途が客観的にわかる新史料が見つかる他ないと思われます。

 しかし、ここは個人ブログですから、行き過ぎた過剰解釈を楽しんでも罰は当たりませんね。この不自然さは何だろうか、と考えた時、私が思ったことはこの絵のテーマが途中で変更された可能性です。つまり、ピエロは始め「ヒエロニムスの夢」を描こうとしていたが、描いている途中で「キリストの鞭打ち」にテーマを変更した…そんなことがありえるだろうか。

 証拠など出て来ようがない話ですが、私はありうると思うんですよね。
 額縁に収められるよう計画的に作られたキャンバスを見ると、ピエロは何らかの完成イメージを持って絵を書き始めていたと思われます。ダ・ヴィンチのように個人的な絵を描くとは思えないから、誰かから何かを依頼されていたのでしょう。この依頼主は誰か?
 この頃のピエロはウルビーノ公の宮廷にいたらしいので、ウルビーノ公と考えるのが普通です。しかしもし、そうでなかったなら?ピエロはどこか別の場所で板絵の制作を請け負い、ウルビーノで描いていたのかもしれません。

 ピエロの絵の中には、完成した時に引き取り手が無くなった絵がピエロの家に残されたものがあります。もしかしたら『鞭打ち』もそうだったのではないだろうか。「ヒエロニムスの夢」を依頼した依頼主が何らかの理由で引き取れなくなり、その絵を気に入ったウルビーノ公が買い取ったのかもしれない?その時に、ピエロはウルビーノ公に合せてテーマを「キリストの鞭打ち」に変更した…ということもあるかもしれないではないか。

 最後に『鞭打ち』の登場人物たちにモデルがいるかどうかを考えてみます。

 画面奥の玉座の人物に関しては、疑いようがない程メダルに刻まれたビザンツ皇帝ヨハネス8世に酷似しています。これは意味があるにせよ無いにせよ、“エルサレムに住む偉い人”のイメージがピエロの中でビザンツ皇帝だった、ということなのだと思います。やはり1439年のフィレンツェで、生で見たビザンツ皇帝の鮮烈なイメージが頭を離れなかったということなのだろうか?
 手前の3人に関しては、悪人の象徴である可能性が高く、ピエロの絵にありがちな人物であることから、モデルがいなかった可能性がとても高いと思います。
 ピエロの絵の主要な髭親父はなぜかみんな二股の髭を持っています。昔のイタリアオヤジって皆髭が割れてたのか!?と思うくらい割れてます。でもよく見ると端役の髭親父は髭が割れていなかったりするし“二股髭親父”にピエロは特殊なイメージを持っていたのではないかなあ、と勝手ながら思います。身近に二股髭親父がいて、見慣れていたために、ついつい描いてしまうのではないですかね、お父さんとか。

 問題は右端の男です。この方はピエロが適当に描いたにしては個性的な顔をしています。ギンズブルグが指摘した肖像修正の問題もあります。画面の中で若干浮いてるほど綺麗な衣装を着せてもらっているこの男は、ジョヴァンニ・バッチでは無いにせよ、ギンズブルグが指摘した通りこの絵の注文主だったのかもしれません。

魔術師ピエロ・デッラ・フランチェスカ

 このシリーズの最初の記事で「本人は作図問題とかを解くことに喜びを感じる古典的な数学者だと自任していたかもしれない」と私は書きました。それは、晩年のピエロ・デッラ・フランチェスカが数学の研究に没頭し、その道でも一流の人として褒め称えられたからです。

 彼は画家らしく数学の中でも幾何学の神秘性に魅了され(それとも逆だろうか)、古代ギリシャの数学者達と同じような研究をしていたようです(円積法や正多面体)。ただし、彼の代表作は『遠近法論』で、ピエロはその中で「多くの画家が遠近法を顧みないが、遠近法をちゃんと使ってない絵なんて絵じゃない」と言っています。おお、耳が痛い…。

 さて、15世紀で数学、となると必然的に魔術性の問題が出てきます。この時代の数学者というのは、錬金術師と基本的には変わらない世界観を持っていた人々です。ガリレオはその点近代感覚の強い人だったようですが、天文学者のケプラーから始まり、ニュートンに終わるまで、西洋自然科学は“自然の中の魔術性”を強く信じた人々によって発展して来ました。
 ピエロも多かれ少なかれそんな魔術的数学者の一人だったらしく、彼の描く絵の多くが幾何学的な構成(キリストを正面向きで中心に据える、聖母を円の中心に置くなど)になっているのは、ピエロの神聖なものに対する神秘的な姿勢を示していると考えられます。

 ちなみに、彼には不肖の弟子がいました。それが簿記会計の父、ルカ・パチョーリだというから面白いではないですか!
 パチョーリはピエロと同じサンセポルクロの生まれで、おそらくその縁故でピエロから数学を教えてもらうことが出来たのではないかと思われます。その時代の一流数学者として尊敬された人物でしたが、ピエロの数学書が広く流通しなかったのをいいことに、彼の研究をほぼそのまま自分の著作として出版していたことが19世紀末になってバレてしまい、今では「ピエロの研究の剽窃者」と呼ばれることもしばしばとか。

 >> ルカ・パチョーリとは

 調べて見ると、彼が簿記会計の父と呼ばれるようになったのは、当時ヴェネチアなどで用いられていた複式簿記を体系的にまとめ上げたからなんだそうで、複式簿記自体は商人達の間で自然発生的に現れたもののようです。

 ちなみに、なぜヴェネチアで簿記が単式から複式になったか、というと、彼らが複雑な商取引をしていたからです。単式簿記は神殿などへの奉納物を管理する目的でかなり古くから使われていたと考えられています。この場合、管理するのは自分の資産の出入りですから、預金通帳のような単式簿記で事足ります。
 しかし、中世の商業都市では単純な商取引だけではなく、出資者を募って外国へバイヤーを派遣し、持ち帰った利益を再分配するなど、複雑な取引をするようになりました。こうなって来ると、自分の資産と他人の資産が混同されないように、また計算のミスがすぐ発見されるようにしなければ、訴訟社会イタリアでは大いに揉めることになります。
 そこで発明されたのが同じ金銭にラベル付けができ、貸借の一致という点である程度の誤りを発見できる複式簿記だったのではないかと、半分は独自解釈ですが、思われます。

 このシリーズのラストが複式簿記で飾られることになろうとは…!簿記オタク冥利に尽きます。

参考文献

カルロ・ギンズブルグ『ピエロ・デッラ・フランチェスカの謎』
この本自体が謎。偉い歴史家の先生が書いた割には歴史的な裏付け部分が随分弱い。格調高い『邪馬台国はどこですか?』です。鯨先生万歳!(笑)…いや、難しいけど面白いし、パトロン関係からピエロの謎に迫ろうとしたという発想は素晴らしいと思うんですけどね。
石鍋真澄『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』
最近の研究成果をまとめたピエロの総括本。邦語で読める文献でこれ以上のものは今のところ無いと思う。今まで作ることが不可能に近かったピエロ年表に加え、ピエロ作品のカラー口絵、人名索引、ピエロの『遠近法論』邦訳、ヴァザーリの『ピエロ伝』邦訳まで付いて5000円じゃお買い得だと思うけど、よっぽどピエロの“人柄”に惚れてる人じゃないとそうは思わないだろうな。
フェデリコ・バルバロ『聖書』
17世紀プロテスタントを研究するに当たって読んだ聖書がこれ。今でも愛用してます。新旧両方一冊にまとまってる所がありがたかったり、そうでなかったり。人名索引も付いてるので、有名キャラ(?)の検索には便利なんですが、私が探すような人はだいたい載って無いぞ、この索引!
協和発酵工業(株)『人事屋が描いた経理の本』
経理屋が読むと逆に難しかった…!けど、簿記の起源の話は面白かった。非経理系の社員に経営感覚を身に付けさせるための社内研修で使われたスライドを書籍化したものです。そんな協和発酵も今はキリンの子会社か…!

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by にしまろちゃん


 鉄オタじゃない!相鉄マニアなんだ!と主張し続けて3年ほど経過しました。かなりのにわかですが稀にマニアックになります。
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